王地山焼の起源は、江戸時代末期の文政元年(1818)にさかのぼり、当時の篠山藩主・青山忠裕が王地山(篠山市河原町)の地に、京焼の陶工・欽古堂亀祐を招いて始めた藩窯がその発祥といわれています。当時は煎茶趣味の背景のなかで、中国風の青磁、染め付け、赤絵を主とした磁器窯でした。

築窯時期から、王地山陶器所として名声を博しましたが、藩の廃止とともに明治2年に廃窯となって以来、その伝統が途絶えていました。
現在の王地山陶器所は、丹波篠山市が昭和63年に再興したもので、現在は第三セクターにより運営され、市職員による技術指導が行われるなど、当時の技法を現代に再現しています。【兵庫県HPから引用】

 


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江戸時代後期

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江戸後期


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